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寺社巡りの備忘録 寺社巡りを通して日本の歴史に触れたい!
京都府

醍醐寺《西国巡礼随一の難所》

参拝日:平成30年4月29日

深雪山醍醐寺(みゆきざんだいごじ)豊臣秀吉公による醍醐の花見が行われた地として知られる京都市にある真言宗醍醐派総本山の寺院。 「花の醍醐」と呼ばれる桜の名所です。

世界遺産 醍醐寺の基本情報

  • 御本尊:薬師如来(重要文化財)
  • 寺格:真言宗醍醐派総本山
  • 山号:醍醐山(深雪山)
  • 御利益:災難・盗難除け・無病息災・身体堅固
  • 住所:京都市伏見区醍醐東大路町22
  • https://www.daigoji.or.jp/
  • アクセス:京阪バス「醍醐寺前」下車すぐ  地下鉄「醍醐」駅下車、徒歩10分

醍醐寺の歴史

  • 貞観16年(874年)理源大師・聖宝が准胝観世音菩薩と如意輪観世音菩薩の二体の観音像をお祀りして開山した。
  • 延喜7年(907年)醍醐天皇の御願により薬師堂を建立。その後も五大堂が建立され上醍醐の伽藍が完成する。
  • 延長4年(926年)釈迦堂、天暦5年(951年)五重塔が建立。その後も次々に建物が建立され、下醍醐の大伽藍が完成する。
  • 永久3年(1115年)三宝院の建立により、醍醐寺の基礎部分が完成する。
  • 慶長3年(1598年)豊臣秀吉による醍醐の花見が開かれる。
  • 平成6年(1994年)ユネスコの世界文化遺産に登録。

札所

西国三十三所第十一番(上醍醐准胝堂 准胝観世音菩薩)

  • 御真言:おん しゃれい それい そんでい そわか
  • 御詠歌:逆縁(ぎゃくえん)ももらさで救う願(がん)なれば 准胝堂はたのもしきかな

西国薬師四十九霊場第三十九番(薬師如来)

  • 御真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
  • 御詠歌:醍醐山 ふもとにおわす お薬師は 広く衆生を さいどしたまふ

真言宗十八本山第十二番(薬師如来)

  • 真言宗醍醐派総本山  派祖 理源大師聖宝(宗祖 弘法大師空海) 
  • 御詠歌:ふみわけて のぼるみやまの だいごでら あじのひみつを のこしおくらん

神仏霊場巡拝の道第百二十六番(京都第四十六番)

近畿三十六不動尊霊場第二十三番(五大力尊)

  • 御詠歌:千年へて わきてつきせぬ 山清水 不動の慈悲を 今に伝えて

役行者霊蹟札所

  • 役行者霊蹟札所は、奈良時代の修験道の開祖とされる役行者にゆかりのある36カ寺からなります。

醍醐寺の伽藍

三宝院

三宝院庭園 (国の特別史跡・特別名勝になっている)池の真ん中、左が亀島で右手が鶴島です。

三宝院唐門(国宝)勅使門(天皇陛下の使者である勅使だけが通行することを許される門)です。

霊宝館

霊宝館(国宝や重要文化財が多数収蔵されています)

桜馬場

正面に見えているのが仁王門です。参拝した日、桜は終わっていましたがフリーマーケットが出ていました。

下醍醐

仁王門(西大門)

仁王門(西大門)は慶長10年(1605)に建立されました。金剛力士像は、平安時代の長承3年(1134)に造られ、重要文化財に指定されています。

金堂

豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)湯浅から移築され、慶長5年(1600)に完成しました。醍醐寺の御本尊である薬師如来座像(重要文化財)が安置されています。

五重塔(国宝)

天暦五年(951)に完成した京都府下最古の建築物と言われています。相輪の長さが目を引きますが、五重塔の全高38メートルのうち三分の一を占めるそうです。

清瀧宮本殿(重要文化財)

清瀧宮拝殿

醍醐寺の総鎮守清瀧権現を祀る鎮守社です。永長2年(1097)上醍醐の清瀧宮から分祀されましたが、文明の兵火により焼失しました。現在の社殿は永正14年(1517)に再建されました。慶長4年(1599)、義演(ぎえん)僧正により拝殿の整備が施されました。

不動堂・護摩道場

不動堂は不動明王を中心に、五大明王(不動明王、大威徳明王、軍荼利明王、降三世明王、金剛夜叉明王)を安置しています。護摩道場は石造不動明王と護摩壇が設けられており、柴燈護摩が焚かれて世界平和など様々な祈願が行われます。

真如三昧耶堂

天暦3年(949)法華三昧堂として創建されましたが、文明2年(1470)に焼失。跡地に平成9年(1997)真如三昧耶堂として建立されました。

祖師堂

向かって右が弘法大師空海、左が理源大師聖宝です。

鐘楼堂

日月門

観音堂

上醍醐准胝堂の西国三十三所札所が移されており、納経所が置かれています。

弁天堂

成身院(女人堂)

こちらで上醍醐への入山料を支払います。

手水場?です。

上醍醐

上醍醐への登山口です。

約2.5kmの軽登山です。

豊太閤花見跡(槍山)

不動の滝

不動の滝です。軽登山と言いながら、かなりしんどいです。

上醍醐寺務所

清瀧宮拝殿(国宝)

醍醐寺の鎮守社。室町時代の建造物です。

醍醐水

霊泉「醍醐水」を頂き一休みです。「醍醐水」が醍醐寺の名前の由来になりました。

上醍醐准胝堂跡

2008年8月火災により焼失(秘仏である御本尊准胝観世音菩薩も焼失)しました。一日も早い復興を期待して止みません。

薬師堂(国宝)

国宝の御本尊薬師三尊像は、霊宝館に保存管理されています。あらたに造顕された薬師三尊が祀られています。

五大堂

中央に醍醐寺開山である理源大師聖宝、左に醍醐寺第一世座主・観賢僧正、右に修験道の開祖とされている役行者・役小角の像が建立されています。

堂内に安置されていた五大明王像と不動明王像は霊宝館に祀られています。

如意輪堂(重要文化財)

慶長11年(1606)豊臣秀頼によって再建されました。御本尊の如意輪観音、毘沙門天、吉祥天が祀られています。

縁結白山大権現

理源大師聖宝が醍醐山山上の鎮守として祀ったと言われています。その後、豊臣秀頼が社殿を再建したと言われています。

開山堂(重要文化財)

醍醐寺の開山、理源大師聖宝を祀ったお堂。延喜11年(911)醍醐寺第一世座主・観賢僧正によって建立されましたが、焼失。その後、慶長11年(1606)豊臣秀頼によって再建されました。

上醍醐陵(かみだいごのみささぎ)

白河天皇皇后 賢子 上醍醐陵
白河天皇皇女 尊称皇后 媞子内親王 上醍醐陵
白河天皇皇女 尊称皇后 令子内親王 上醍醐陵
鳥羽天皇皇女 禧子内親王墓

主な年中行事

五大力尊仁王会(2月23日)

「五大力さん」として親しまれており、醍醐寺最大の年中行事です。盗難・災難厄除けのお札(御影)を頂き、各家庭の出入り口に貼ります。

金堂では、「七難即滅」「七福即生」を願った仁王会法要が営まれ御影が授与されます。

金堂前では、奉納餅上げ大会(小学生・女子・男子の部)が行われます。

豊太閤花見行列(4月 第2日曜日)

豊太閤花見行列(豊臣秀吉・北政所・淀姫などに扮した約200人も行列)や雅楽奉納があります。

准胝観世音菩薩御開扉法要(5月18日を中心に1週間 下醍醐観音堂にて)

醍醐寺万灯会(8月5日 金堂にて)

置き灯篭や提灯が参道を照らし「精霊供養法要」や「お施餓鬼(せがき)」供養が行なわれます。当日は国宝の金堂や五重塔などがライトアップされます。

国法五重塔御開扉法要(毎月29日 閏年以外の2月は28日)

五重塔内部において、醍醐天皇の御命日にあわせて午前と午後2回の法要が行われます。写経奉納された方のみ、四方の扉の外から五重塔内部を拝観することができます。

醍醐の花見

慶長3年3月15日(1598年4月20日)豊臣秀吉公が開催した花見の宴です。

平安時代から桜の名所であった醍醐寺に近隣から700本もの桜の木を植樹して、1300人を招待し手開催されました。

招待客の1300人は女性ばかりで、男性は秀吉公と秀頼公それに前田利家公の3名だけだったと言われています。

女性客は2回の衣装替えを命ぜられ、その衣装代は今の貨幣価値で約40億円と言われています。

満開の桜の中、きれいに着飾った女性たちであふれかえった醍醐は、さぞ美しかったことでしょうね。

御朱印

西国三十三所観音霊場

根本准胝尊
逆縁も もらさで救ふ 願なれば じゅんてい堂は 頼母しきかな

下醍醐観音堂で根本准胝尊と御詠歌の御朱印を頂きました。

西国三十三所札所会 満願之証

平成28年9月3日に第二十五番札所御嶽山清水寺から西国三十三所巡礼を始めて、こちらで結願しました。約1年半掛かりましたが何とか満願の証を頂きました。

総本山醍醐寺 真言宗十八本山

薬師如来

下醍醐観音堂で頂きました。

近畿三十六不動尊霊場

五大力尊

下醍醐観音堂で頂きました。五大力尊とは、五大明王(不動明王、大威徳明王、軍荼利明王、降三世明王、金剛夜叉明王)の総称で、衆生済度(しゅじょうさいど)、現世利益の霊験あらたかであるとされています。

役行者霊蹟札所

神変

下醍醐観音堂で頂きました。神変大菩薩とは、修験道の開祖「役小角」に対して光格天皇から贈られた諡号(しごう)です。

醍醐寺塔頭三宝院

慈氏殿

三宝院で頂きました。慈氏とは弥勒菩薩のことで、三宝院の御本尊です。