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寺社巡りの備忘録 寺社巡りを通して日本の歴史に触れたい!
京都府

今熊野観音寺《知恵授け・頭痛封じにご利益のある ”頭の観音さま” 》

参拝日:平成29年5月30日

新那智山観音寺(しんなちさんかんのんじ)京都市東山区にある真言宗の寺院 西国三十三所第十五番札所。御寺と呼ばれる皇室の菩提寺泉涌寺の塔頭。

 

今熊野観音寺の基本情報

  • 御本尊:十一面観世音菩薩(弘法大師作 秘仏)
  • 脇佛:不動明王(智証大師円珍作)・毘沙門天(運慶作)
  • 宗派:真言宗泉涌寺派
  • 山号:新那智山
  • 寺格:泉涌寺塔頭
  • 創建:伝・大同年間(806 – 810)
  • 開山:伝・弘法大師
  • 正式名称:新那智山観音寺
  • 別称:今熊野観音寺
  • www.kannon.jp
  • 住所:京都府京都市東山区泉涌寺山内町32
  • アクセス:JR京都駅(烏丸口)から市バス208号系統にて泉涌寺道下車、徒歩約10分。JR東福寺駅(奈良線)から徒歩15分。

今熊野観音寺について

  • 弘法大師空海が東寺で真言密教の修法中に、東山の山中に光明が差して瑞雲が棚引くのが見えた。そちらに赴くと熊野権現から一寸八分の十一面観世音菩薩と一夥の宝印を渡され、ここで観世音をまつるよう語りかけられた。弘法大師空海はお堂を建立し、一尺八寸の十一面観世音菩薩を刻み熊野権現から授けられた像を体内仏として納め祀られた。
  • 鳥戸野(とりべの) 東山七条の東の峰を阿弥陀ヶ峰といい、その峰の南西一帯を鳥戸野(とりべの)という。一条天皇の皇后藤原定子をはじめとした貴族の葬地であり観音寺が管理していた。定子に仕えた清少納言は、観音寺近くで生まれ育ち、定子の死後も御陵の近くで過ごした。

札所

西国三十三所第十五番

  • 御真言:おん まかきゃろにきゃ そわか
  • 御詠歌:昔より立つとも知らぬ今熊野 仏の誓いあらたなりけり

洛陽三十三所観音霊場第十九番

ぼけ封じ近畿十楽観音霊場第一番

泉山七福神巡り第三番(恵比寿)

通称寺の会(今熊野)

神仏霊場巡拝の道第百ニ十二番(京都第四十二番)

今熊野観音寺の伽藍

鳥居橋

観音寺と泉涌寺の間の谷を今熊野川が流れています。その川を渡るのが鳥居橋です。

 

子護大師

子供や孫の心身の健康や学業成就を願う方々がお参りされるそうです。

 

鐘楼

大東亜戦争中に供出されましたが、戦後無事(元の姿のまま)帰ってきました。

 

稲荷社と熊野権現社

どちらも今熊野観音寺に二社ある鎮守社です。

 

ぼけ封じ観音

心や体のぼけを取り除いて下さる観音さま

 

大師堂

弘法大師をお祀りしているお堂ですが、こちらでは東山大師と呼ばれるそうです。愛染明王・不動明王・左大臣藤原緒嗣の像もお祀りしています。

 

本堂

本堂が建っている場所は、かつて弘法大師空海と熊野権現が出会った神聖な所だそうです。こちらに御本尊・脇仏が祀られています。

 

西国霊場の巡礼者はこちらで、参拝し御朱印を頂きます。

 

五智の井

弘法大師空海が、熊野権現の御霊示により観音様を祀る所を選ぶため、錫杖をふるうと霊泉が湧き出しました。大師はこの清水を観音御利生の水として崇められ「五智水」と名付けられました。

 

多宝塔(医聖堂)

 

御朱印

西国三十三所観音霊場

大悲殿
昔より 立つともしらぬ 今熊野 仏の誓い あらたなりけり